最初の一週間

お子様にとって、新しい気持ちでの学級、学校との出会い。よいスタートがきれたでしょうか。

1年生の教室では、早速ひらがなの学習が始まっていました。今日は、「く」です。1の部屋、2の部屋、3の部屋、4の部屋とマスを4つに区ぎって、ていねいな、形の整った字を書く学習です。写真がないとイメージつきませんね。うまく操作できないので、掲載できませんでしたが、来週工事して載せます。


今から80年前の4月13日~14日にかけて、足立区が空襲に襲われました。その話を5校時に放送でしました。次のような話をしました。


戦争中、足立区に空襲があった、犠牲になった方への追悼式が行われるという話をします。

世界を見渡すと、人間同士の争いごと、戦争が絶えません。今でも、ウクライナとロシア、イスラエルで戦争が続いています。何の罪のない人が、子供が、赤ちゃんまでもが命を落とします。日本も武士の世の中から、明治という時代になってから大正、昭和と50年ほどの間、戦争の状態にありました。このうちの最後の戦争は、太平洋戦争といい、アメリカなどの国と戦いました。

 

1枚目の写真を見てください。(千住仲町が空襲にあった写真)今からちょうど80年前の昭和20年の、4月13日、14日にアメリカの爆撃機、飛行機が飛んできて、爆弾を足立区にそしてこの千住の街にも落としました。空襲と言います。その後も、戦争が終わるまで空襲は続き、合計14回もありました。写真にあるように千住の町は大半が焼けました。東京の他の所では、スカイツリーのある墨田区や台東区、北千住駅から東武線や日比谷線で2,3駅の隣の区ですね。計算でいくと、1つの教室に100発以上の焼夷弾が落とされたとなるそうです。信じられますか。

もっと空襲のことを足立区の空襲のことも知りたくて、地域の方に話を聞きました。当時は、まだ小学生でしたが、今でもはっきり覚えているそうです。忘れられない光景とのことです。墨田区や荒川区、台東区からは、人の姿とも思われない、見るにも耐えない、衣服は焼け、やけどのひどい人、真っ黒の人、息が絶えて、背中でぐたっとなっている赤ちゃんをおんぶしているお母さん、泣きじゃくり一人きりで歩いている小学生などが千住大橋を渡り、目の前を通っていったと話を聞きました。「こわい、こんなに恐ろしいことはない、戦争なんて絶対してはいけない。」と思った。と話してくれました。

 

2枚目の地図を見てください。足立区全体では、4月13~14日にかけての空襲で800人を超える人が命を落としたり、ケガをしたりしました。当時、北千住にあった区役所も燃えました。あさっての13日には、区役所でこの戦争、そして空襲で犠牲になった方のご冥福を祈るために追悼式が行われます。

 

・戦争に関わって、我々が記憶しておきたい日は、

昭和16年12月8日 アメリカハワイのオワフ島真珠湾基地への攻撃。太平洋戦争が始まった日。昭和20年3月10日 東京大空襲。

昭和20年8月 6日と9日 長崎と広島に原子力爆弾が落とされた日。

そして、 8月15日    終戦を迎えた日です。

3枚目の区役所の展示会の写真を見てください。

校長先生の父親、私の父は、小学生の時に戦争を経験しました。生々しい話もあります。聞きたい人は、どうぞ校長室まで来てください。 今日まで区役所では、「東京大空襲の記憶」という展示を行っています。「戦争の記憶、むごたらしさを我々はうけついで、つないでいかなければならない。なくしてはいけません。そして戦争を二度と繰り返してはいけません。」



話し終えたあと、2,3年生の16名が校長室を訪れました。ちょうど、学力調査の集計をしていたので、「今できないけれど、月曜日の朝にみんなのことを予約したよ。」と伝えました。 校長 村松 治

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